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日田・玖珠説   日田古代史愛好家の集い

         英彦山は鷹天原(高天原)だった・・・「鷹神(高皇産霊神)が伝える九州王朝か」

日田を元気に! 3つのプロジェクト発進!

ヒタ向きに プロジェクト
ヒタヒタと、ヒタしぐら、ヒタ隠しの謎を解明します

@ 日田(ひさ)は出雲神話の源流・黄泉の国だった


A九州支部応援団、漫画家・久世みずき先生の20ページ日田の歴史イラスト集!

B「ヒタヒミコ」 プロジェクト
@ 日田(ひさ)は出雲神話の源流・黄泉の国だった


黄泉の国日田
、そして徐福〜大化改新までの卑弥呼日田説 佐々木説のご紹介 以下hpリンク
昨年、考古学でもなく、文献でもなく、多くの各地を歩き、気から感じたこと導いて頂いた多くのご縁に感謝
神名火山信仰に基づくキヒサの守護神 キヒサ(出雲)=火山信仰は九州でしょう!
※火山は砂鉄にも通じる。火山と太陽信仰こそが卑弥呼であり、出雲に火山信仰が残るのか?それは、九州から出雲へ移動した九州の民がいたこそからである。出雲から北陸、安曇野、諏訪にかけては、この九州の卑弥呼が祭祀していたある神の末裔なのだ。
出雲にはその頃、火山があったのだろうか?別府(四極山)から九重、阿蘇、雲仙のラインは、火山信仰と密接な関係があり、国東などの火信仰、そして日田〜国東にかけての黄金!。これこそが古代の権力者が求めていたもの。(筑紫にはない豊かな交易に必要な富と神が存在していた)

※右図赤点が金山

久津媛(比佐津媛)は、伊邪那美的な黄泉醜女(別名:泉津日狭女・よもつひさめ・よもつしこめ)か、ひさ=しこ であり、太陽と相撲を悟るもの。『古事記』出雲国造り祖の「岐比佐都美」(別名:来日田維命)か。両方同一人物か?

 ひさとしこは、垂仁天皇でつながる。「出雲国造の祖である岐(鬼?八衢?)比佐都美が青葉の山を川下に飾り立てて、大御食(おおみけ)を献上しようとした時に、御子が言葉を発して「この川下にある青葉の山のようなものは、山に見えて山ではない。もしかして、出雲の石?(いわくま)の曽宮(そのみや)にいらっしゃる、葦原色許男大神を奉斎する祝(はふり)の祭場だろうか。」日田での出来事です! 日田の比佐津媛(久津媛)=出雲国造り祖・岐比佐都美

 
出雲は「アメノホヒ」から始まるとされるが、これは後に追記されいるという。『古事記』は岐比佐都美が国造りの祖と記述される。岐比佐都美の兄弟的存在が、相撲協会の神様の「野見宿禰」である。出雲の振根、入根に通じるか?鳥羽(止波)宿禰と荒田彦(有田)にも通じる。
 ※「ウィキペディア引用}出雲国造の祖としては他にアメノホヒも伝わっているが、この点についてアメノホヒを本来は出雲とは関係のない新たに創られた祖神と考え、出雲国造と結びつけられるのは後代のことであり、神名火山信仰に基づくキヒサの守護神=キヒサツミを祖とする『古事記』での記述を、出雲国造にまつわるより古い形態の伝承と見る説がある。


ウィキペディアより引用

葛城系図より引用

 黄泉醜女は鬼の意味もあるという。
英彦山に役行者が連れてきた男鬼と女鬼に通じるか?英彦山は伊邪那美が中岳であり、女鬼「(後鬼)が日田の鬼の子孫(相撲の神=野見宿禰に通じる))大蔵氏になったというのもっきっと意味がある。
 日田には葛城直(日田国造り・鳥羽宿禰と姓氏大辞典では神武東征に日田の葛城直が同行した。葛城が出身である役行者であるのも偶然ではない。三輪(日向皇子・大田田根子))と賀茂(八咫烏=鷹)につながっている。
 
英彦山を信仰する「出雲神話」の拠点ここ日田にに眠る。鳥越健三郎教授「出雲は舞台にして借りたものである本舞台は何処かの場所にある」まさにその通り。鳥越氏は島根の出雲の大国主神も須佐之男も小さな一地方神を祭り上げたに過ぎない。秦氏は「ひた」と同意語である。辞典を見ると「陂?(ハタ、ヒタ)」。徐福〜6世記にかけての日田という天皇家発祥の地と日本神話の原点が眠る。
 
日田は日高(日鷹)であり、大倭日高見である。
  
 
 A九州支部応援団、漫画家・久世みずき先生の
20ページ日田の歴史イラスト集!
2024/1/27


主催:日田歴史発見講座伊藤塾 
構成・イラスト・編集 伊藤塾スタッフ 久世、佐々木、石橋
後援:全国邪馬台国連絡協議会九州支部 

今後、小学校や関係先へ配布したいと思います。歴史を身近に!


「 まほろば日田への思い 」 漫画家 久世みずき

 大人になるまで日田の歴史や観光にあまり興味がなかった私が故郷について調べたいと思ったのは、上京後に仕事先で日田に興味を持ってくれた方に何の説明もできなかったり、地元でも日田の話題に同調できないことを残念に思ったからでした。

 そうして調べ始めると、日田はとても魅力的なものに溢れていて、私は前以上に日田が好きになったし、不思議なことに自分の中に何か一つ芯が出来てきたような気がします。
 『まほろば日田』は見た方が前より日田を好きになったり、日田の魅力を再確認できるイラストになるといいなと思いながら描きました。日田の美しさが少しでも伝わりますように!

    
 B「ヒタヒミコ」 プロジェクト  by 日田出身・愛知県在住のS様  
2024/1/4

全国邪馬台国連絡協議会九州支部広報部資料・情報支援のみ

卑弥呼の鏡・邪馬台国日田説・『魏志』、そして、鷹、湖水伝承、久津媛、日子山伝承
カゴメ歌、地勢的、神仙思想等を総合的に考慮し、先に春頃までに小説化。その後、時間かけてビジュアル化していく壮大な日田を中心にした徐福〜倭国大乱〜卑弥呼〜神武天皇への物語。凄い方が現れましたね!

日田卑弥呼説、広報部長の私見と同じ感覚。がんばって日田と鉄鏡を盛り上げてほしい!

※広報部コメント:戦いばかりだった、中国の春秋戦国時代には、九州から畿内にかけて相当数の渡来民が押し寄せる。その後、徐福が九州へ入ってきたときは、中国人の先住民が沢山いた。徐福も定着しやすかったに違いない。徐福は日田に入り、神仙思想を繰り広げていたか。そして畿内へ入り込む。紀元前の神武東遷か?2世記も5世記にも神武東征=神武、崇神、応神。
九州と畿内は、本当は同族だったのに、兄弟喧嘩してしまうのだった・・・・?。

九州から濃尾平野まで渡来系は進出している。畿内銅鐸もルーツは九州(考古学者)
紀元前から、2世記、5世記後半に九州は畿内へ東遷している。しかし2世記中頃、6世記中以後は逆に畿内から九州へ
まるで、新羅と百済のような東西の戦いが古代日本でも永遠と続いていた。
 
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別府説   大分合同新聞

その他  古代史の会 大分
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