全邪馬連九州支部
 2023年6月公開予定
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これまで行ったことのある、神社や祭神をご紹介したいと思います。

『日本書紀』と『古事記』は、九州での天照大神誕生や天孫降臨を伝えています。古代史を語る上に、文献史学は無視されていて、考古学最優先の古代史論争になっています。邪馬台国論争も、確かに、考古学から言えば、3世紀中頃降畿内説が有利かもしれない。しかし、『記紀』を信用するならば、九州に太陽信仰、卑弥呼の言い伝えをしているとも言える。
 少なからず、蘇我と藤原の大化の改新や伊勢外宮の豊受の創作や出雲や九州の中世~江戸にかけての神話のヤマトによる書き換え、そして豪族も先祖を皇祖神につなげる為に系図も平気で上書をしているようです。紐解くのは、難解。
 神社とは、神道の信仰で神々を祀るための建物や施設の総称で、また祭祀を行う組織そのものも神社とよびます。神社の区域は鳥居の内側を差し、神域としています。神社には、産土神、天神地祇、皇室、氏族の祖神、偉人などの霊が神として祀られています
 自然と神と神社という日本文化と多神教のこの国を、奥深く感じて欲しいと思います。このに国に生まれて良かったと。

邪馬台国九州説

 考古学者の大半は、邪馬台国畿内説だから、これを打ち破るのは大変。問題は、『魏志』倭人伝が書いた邪馬台国は、ある意味考古学とは関係がないでしょ。
 畿内邪馬台国なら、伊都国や奴国や不弥国をごちゃごちゃ書かないだろうし、距離にしても1万2千里と書いていますが、不弥国からの残りは400里(100km)程度。邪馬台国は南なのに、『魏志』は、「女王國東渡海千餘里」東に国ありと書く。畿内説の南が東なら、東は北となる。

卑弥呼

 卑弥呼は天照大神と一般的には、言われます。しかし違うという説もあります。
 それにして、なぜ、『記紀』は、卑弥呼を記述しなかったのだろう。神話の神功皇后で、『魏志』を引用しているから、『記紀』の編纂者は、絶対卑弥呼を知っている。
 『記紀』は、卑弥呼を書けなかったのではないでしょうか。その理由は、卑弥呼はヤマトの人間ではなかった。それが最大の理由で、九州を消し去り、祟る女神のよう変化させたヤマトの罪がみえてくる。九州の神社を相当塗り替えているのもヤマトの仕業。違う名前を祭神化してる。九州の神社の奥深く調べたら、その痕跡がみえてくるかもしれません。
 国宝海部系図さえも権力の都合で塗り替えているという。偽書とネットでもみられます。
ヤマトの創られた歴史なのです。九州の太陽神を消すために。

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